思弁・止揚
- mooty
- 2021年7月8日
- 読了時間: 1分
更新日:2021年7月11日
僕の正式な最終学歴は高等学高卒業だ、成人した後に夜学の私塾に通うが正式な学歴にはならない。
過去を追想して感慨に浸るわけではないが今の自身の感覚として当時の自分の愚かさが計り知れないほどの若さ故の無謀だったのかと個人として思う。
事実僕は中学校生活の2年目くらいから通学を拒否し、毎日寝ぼけ遊び歩き警察に補導されれば警察相手に税金泥棒!!と怒鳴りつけていた。学校に行ったら行ったでタバコを吸い授業は全てサボるといった具合だ。
なぜか、先ほどの一文に追従して今の自分の言葉で語ると、学校の雰囲気教師の存在が薄っぺらく感じていてゆるせなかったからだ。それは解りやすく皆が共通して信じられる真理などない中、人間が把持する弱さについての理解と教師としての志向性を尊う解釈がなかった故なのだと思う。
孔子は君子の徳の中で勇とは「退く時には退いて、結果の出せる実行力」と言及している。思弁的な(自分)を捨て私として未来を考えれればもっと楽に生きてゆけたのかもしれない。
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