極道の妻たちをシリーズで拝見している。3シリーズ目までの共通点は妻が1人残される、連れ添いの男に先立たれる物語になっている。仁義なき戦いは、命の取り合いで沢山人が死にその場面も極道の妻たちと比べると簡単に表現している。それは殺されて死んでもまた殺した人物が殺された仲間に殺されるという連鎖反応が見え隠れしているからだと思う。
逆に極妻はただ1人残される場面で映画は終わる。そして毎回濡れ場があるのだが、やはり女性を描写するには濡れ場は必要なのだろうか。
3歳の息子に映画を見せていたら妻には怒られた、野蛮な言葉遣いと濡れ場は子供に禁止らしい。
言わんとする事はわかるが、大人の世界の秘密に蓋をしてしまうのはどうかと思うのである。
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