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歌心と宗教

更新日:2022年8月6日

僕は法華経を学び日蓮仏法を親の代から世襲している。簡単なお経を覚えて唱題する事があるのだが若いときは全く覚えられないしよく意味がわからなかった(現在は覚えたのは忘れたし意味もそう理解はしてはいない)。

一時こんな事も出来ないなら「好きな音楽も上達しないとぞ」言い聞かせ丸呑みする様に身体と脳に覚え込ませた。

その時僕はなぜ、この仏教は歌心がないのか?楽しくないし気持ち良くないという思いだった。漢字を読むのは呪文みたいで、また違う楽しみ方もあるのだが。

それから、東京ジャーミーや広尾のユダヤ教団、ゴスペルなどを拝見する縁起があり。礼拝時の朗誦や歌を聴いたが仏教のモーダルなお経とは全然違う物だった。

クァルーンの朗誦はコーダルでコード進行が聞こえてきそうだったし、シナゴーグでのカディシュは民謡のような素朴な懐かし味のある歌だった。

そして仏教では声明というのもあるらしいが聞いたことはないので、日蓮仏法に限っていうと歌ではないお経であり旋律も上下に動かずコード感もない、一定のスケールに数字を振り最小限の動きで躍動なく動いてる感じだ。ただリズミカルな部分が強調されている。

自分の宗派が嫌な時があり改宗したいと考えた事もあったが現在は「まぁいっか」とこんな感じだ。

吉本隆明さんが浄土真宗で親鸞に帰属意識をもち書物も出版しているが、何故そこまで親鸞にこだわるですか?の質問にたまたま浄土真宗の宗派だっただけだよと仰ったお話がある。

僕も無理やり深く思い込まず、まぁなんとなく受けいれてみようで生きて行こうと思うのであった。

世間では某宗教の2世がテレビで苦労を語っている、こころが痛いので心情を吐露した。

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