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執筆者の写真mooty

水が心を洗い流す

今年も上半期が夏の蝉の鳴き声を始めに終わりを告げた。僕のお祭りは例年とは一味違う2023年は2回も祭りがある。

祭りといっても、無礼講で騒ぐ訳でなく新しい扉を開く学びを僕は個人的なお祭りと形容している。

そんな事を説明するのに、内田樹先生のブログに名文が書き込まれていいたのでコピペ引用させて頂きます。2023年の7月のいま私たちが学ぶべきことと言う書き込みです。

以下引用文

「呉下の阿蒙」という話がある。三国時代の呉の国に呂蒙という将軍がいた。勇猛な武人であったが、惜しいかな学問がない。主君の孫権が「将軍に学問があれば」と嘆じたのに発奮して、呂蒙はそれから学問に励んだ。しばらくしてのちに同僚の魯粛が久しぶりに呂蒙に会ってみると、その学問の深さ見識の広さはかつての彼とは別人であった。魯粛は「君はとてもかつて『呉下の阿蒙』と呼ばれていた人とは思えない」と驚嘆した。これに対して呂蒙は「士別れて三日、すなわちさらに刮目して相待すべし」と答えた。士たるものは三日会わないでいると別人になっているぞ.

僕の青春時代はアカデミックな学習には力を入れずひたすら遊んでいたが、そこの仲間うちでもコロコロ態度が変わるのがダサい変わらない自分を持とうみたいな青年時代のモラトリアム期を仲間内で共有しお互いを牽制しバカにし合っていた。

あの時代を振り返ると本当に息苦しかった、融通無碍な自身を築く事を意識し変化する事を恐れていた。あの時分の僕に今伝えられる事は不動の自己を担保にして生きるより変化し成長し続ける思考性ある自己を設定したほうが生きるのが楽だよと言いたい。そして変化する事でターニングポイントが発生し忘れ難い愚かだったり賢かった過去の不動の自己を忘れなくなるのだよと。

わかりづらいかもしれないが気持ちの四方八方を整頓してみた次第である。

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